福島市の中心部にある信夫山の情報サイト

信夫山おもしろ話

ホーム > 信夫山おもしろ話 > その79 信夫山公園の桜あれこれ

その79 信夫山公園の桜あれこれ

信夫山公園は、明治7年に明治政府から市民の公園として認可され、駒山公園から整備が始められました。なんと、東京の上野公園と同じ時期だそうです。
現在の信夫山入口「芝生公園」は、当時、「黒沼」という大きな沼で、その昔、沼の主・オロチが住んでいたところといわれていました。駒山公園の工事で、ずいぶん小さくなったそうです。
近年まで沼が残っていましたが、昭和60年代に苑池化され桜の噴水公園となりました。

明治32年には、福島町長・鐸木(すずき)三郎兵衛による「信夫山を桜の名所にしよう」との呼びかけで、町の有志により1万本のソメイヨシノが植えられました。100年後の世代が楽しめるようにと、祖先からの贈り物だったのですね。現在では信夫山全山で約2000本、公園内で200本余りの桜があるといわれています。
さて、護国神社の道路向かいが信夫山公園で、昔は愛宕山(あたごやま)と呼ばれ、伊達政宗が本陣を構えて福島城と松川合戦を行ったところです。今では、桜の季節に花見茶屋が立ち、賑(にぎ)わいます。信夫山公園(太子堂広場)の東の、一段下がったところが堂殿「大日堂広場」で、桜の名所です。たくさんの歌碑・記念碑があり、信夫山の奥深さを感じることができますよ。